「内なる教師とつながる」
(2009年4月号)
心に耳を傾けて
昨年2007秋から、資格取得のための論文に励んでいました。
1年前、あるお仕事の話を頂いたのですが、その仕事を遂行するために急遽その資格が必要となり、本格的に取り組み始めました。
私にとっては、8年分の勉強の集大成でした。
そして先日、論文合格の通知を頂きました。
これも、サポートくださった周りの方々や励ましをくださったティーチャーをはじめ皆様のお陰です。本当にありがとうございました!
このチャレンジを通じて、人はみな、自分の中に「内なる教師がいる」ことを、
改めて感じました。
今回のメルマガは、それをメインテーマに取り上げますね。
先ずは、私の、10年来の友人から聴いた実体験のお話から紹介します。
今から10年程前、彼女は海外旅行ツアーを企画するお仕事もされていて、アメリカのパワースポット「シャスタ山」に行かれました。
ちなみに、大塚食品より発売されているミネラルウォーター「クリスタルガイザー」の水源がシャスタ山です。
一説によれば、シャンバラという地底にある桃源郷の入り口が隠されているとか、地球の第8チャクラにあたるパワースポットであるなどとも云われているそうです。
さて、友人は昼間、シャスタの地元の方にセラピーを受けたとき、
「自分の心に耳を傾けて」といわれたそうです。
その後、シャスタ山の森付近でのツアー自由時間が終わりに近づき、スタッフである彼女はツアーの人々に集合をかけに、森の中に入って行きました。
そして、森に残っているツアー客はいないことを確認して、自分もツアーバスに戻ろうとしたところ、おかしなことに気づかれました。
さっきまっすぐ来たはずの川べりの道が消えていて、四方八方が絵のような同じ景色になっていたそうなのです。不思議なことに、どっちの方向へ行っても行き止まりのような場所に変わってしまったそうです。しかも、川も消えてしまっていたそうです。
まるで異界に来てしまったかのような恐怖感でいっぱいになった、と、彼女は後から話してくれました。
歩き回っても、同じ景色ばかり。まるで富士山の樹海のようです。
彼女は途方にくれたそうですが、
昼間セラピーを、受けた際に聴いた「自分の心に耳を傾けて」というメッセージをなぜか思い出して、
「私の帰り道を教えてください」と心に念じたそうです。
すると、どこからともなく、さっき歩いてきた道の川の音が聞え始めました。
一度消えたはずの出口があらわれたのです。
彼女はその道を通って、無事戻ってきたそうです。ツアーのほかのお客様は「彼女が森の入り口で消えてしまった」のを目撃した方もいて、驚いていたそうです。
その体験を通して彼女は「答えはいつも自分の中にあると再確認できた」と帰国後にお話してくださいました。
実は、私が今回論文合格にチャレンジしている間も、メンタル的にまったく同じような体験をしました。
今回の論文チャレンジは、あくまで私の場合はですが、
「知識や情報といった外側のものには最終的な答えはないのだ」と感じることが多いものでした。(テーマや取り上げる対象が具体的なものではなく抽象的なものだからかもしれませんが)
「合格ラインの基準を満たす答えは、たぶん、私が内側とつながらないと出てこない」と、
私個人の場合は、強く感じたのです。
実際、査定機関からも
「より深く掘り下げてください」という助言を頂きました。
けれど、チャレンジしはじめた時期は、私は、自分の内側の答えのある場所と繋がることを難しく感じた時期でした。
当然の事ながら、答えが出てきません。
なぜいつもはわかるはずの答えがわからないのだろう?と、思ったとき。
頭だけで考えているからだなと自覚しました。
思考に偏ると、感性よりも知識や情報に頼るようになり、自分が素直に感じることよりも外の情報のほうが正しいと“錯覚”するようになってしまいます。
知識や目に見えるものに過度に重きを置くことで、逆に答えがわからなくなってしまうこと。
自分にとっての答えを、自分以外のものの方が知っているのではないかという錯覚。
自分が素直に感じる気持ちよりも他者の正論のほうが正しいと思ってしまう錯覚。
(本当は、1人1人の答えがその人にとっては正しいので、絶対的な正解はないのですよね)
そんなとき、私は母校のティーチャーから「あなたのこれまでの経験をもとに書けば、大丈夫だと思う。自分がどう感じるかを
大事にするのが、美智子ちゃんらしさが出ていると思う。」というメッセージを頂き、改めて大事なことを思い出しました。
それは、誰の心の中にもある「内なる教師」です。
誰の心の中にも、その人がその人の色で成幸した人生を歩むための、答えを知っている、偉大なる教師がいるのです。
色彩言語では、ターコイズカラーがあらわす「内なる教師」です。
自分の人生の答えや成功の流れや道は、最終的にはその人にしかわかりません。
他者の意見に耳を傾けたとき、それがしっくり来るものであればそれで良いかと思いますが、
どんなに正論に聞えても自分の中で「あれ?」「何か違う」と感じた場合、
「やっぱ違った」という明確な結果になるまでは時間の問題だからです。
21世紀は、マスコミという、一人から多くの人へのコミュニケーションが可能になった情報あふれる時代だからこそ「内なる教師」とつながることが大事なのかもしれません。
下記に、「内なる教師」と繋がっていないときのケース・繋がっているときのケースを大まかにまとめてみました。
★「内なる教師」と繋がっていないとき
・知識が乾き物になってしまう。
・「~べき」という外の情報にコントロールされるので他者の要求に応えなければいけないと思ってしまう。
・小さなことに一喜一憂し、イソイソ落ち着かなくなってしまう。
・「なにか違う」という直感を無視するので、結果「やっぱり違った」ということがある。
・自分が自分でないように感じる。
・人を納得させようとする。
・将来に漠然とした不安を感じる。
★「内なる教師」と繋がっているとき
・知識が人生の使える知恵になる。
・他者と「私は私、あなたはあなた」という自然な距離が出来るので必要な場合には自発的に協力できる。
・外の情報を、自分にとって大切なものかそうでないものかがクリアに判断できるので有意義に活用できる。
・凛とした落ち着きが備わるので、自立心や有能さが高まる。
・「なにか良い感じ」という直感に重きを置くので、
結果「自分の色、本質」が輝く人間関係や仕事に恵まれる。
・自分が自分として、しっかりと人生を歩んでいる感覚が根付く。
・自分が納得しているので、それが自然と人に伝わる。
・自分にとって幸せな将来につながるような選択や行動が自然とできる。
・長い目で見たときに、人生が成功している
★内なる教師とつながる鍵は、リラックスすることや、好きなものや自然に触れて、感性に栄養を与えることかもしれません。