今回はふと、エネルギーのことを綴りたくなりました。 エネルギーは、 物理的な意味でのガソリンとか電気や金銭や食べ物のほか 目に見えないエネルギー、電波とか氣などもありますね。 この目に見えないエネルギーの「意識」「氣」「想い」なども 言ってみれば、 ガソリンなのですよね。 たとえば、 「A:願いや望みが叶うのか、不安」とか 「B:〇〇に気をとられて、やるべきことが手につかない」 などというケースがあるとします。 これは、Aのケースについていえば、 エネルギーという限られたガソリン(氣、意識)を プラス(望みがかなった状態)のイメージや方向に集中して注ぎ それ以外の状況(不安、恐れ、心配)に、 貴重なガソリンを流さない事、 ダダ漏れさせないことが大切です。ガソリンを流さなければ 不必要な不安、恐れ、心配と適切な距離を置くことができます。 Bのケースについていえば、エネルギーというガソリンを “意識して”自分のやるべきことに注ぐこと、 〇〇にガソリンを取られないことイコール 自分のガソリン(氣、意識)を漏らさないことが大切です。 意識や想いを 「ガソリン」だと認識していると(割り切っていると) 必然的に、自分の「ガソリン(氣、意識)」を 自分の人生の愛するもの、たいせつなもの、かなえたいものに 沢山注ぐことができます。結果、そこが活性化(実現化)します。 そのうえ、 自分のガソリン(氣、意識)を自分できちんと管理できること、 これはエネルギー的な自立です。エネルギーの奪い合いや依存が ないことだから、物心ともに満たされていくのでしょう。 そしてこの在り方が世界に広がったとき、 世界から痛ましい出来事や戦争がきえていくのでしょう。 又、自分のガソリン(氣、意識)を自分できちんと管理できて いるとき、自分のやるべきこと(エネルギーを真に注ぐべきこと) がわかったり、何事もはかどったり、上手くいったりするのです。 エネルギー使いの達人で在ることは、大きな貢献に繋がるのかもしれませんね。 (以上です) |